「埋没(まいぼつ)」という言葉を初めて目にしたとき、僕は何かの整形手術の方法かと思ってしまいました。
でも、この界隈で使われる「埋没」とは、自分が性同一性障害であることを周囲に知らせず自らの望む性別で完全に社会に溶け込んで生活することを指すのだそうです。
それを知ったとき、僕が真っ先に思ったのは「え、それが普通なんじゃないの?」という驚きでした。
当時は、世の中の性同一性障害の人(特に性別の取扱い変更を終わらせた人)はそういう生き方が至極真っ当だと思っていたからそれに対して「埋没して生きてます」っていう言葉あることにちょっと驚きました。
意識せずに「埋没」を選んでいた理由
僕は2006年にカウンセリングを始め、2009年には戸籍の変更もすべて終えています。
それ以来、職場や新しく出会う人たちには自分が当事者であることを一切公表していません。
それは、隠さなきゃいけないという強い強迫観念があったからではなく、「男性として、ごく普通に生きたいように生きたかった」
ただそれだけのことでした 。
もともとインドア派で、大勢の人と接するのが得意ではない性格も影響しているかもしれません。
僕にとっての「埋没」は、何かを偽るための壁ではなく自分が自分として穏やかに過ごすための自然な形でした。
オープンに生きるか、埋没して生きるか
もちろん、世の中には自分が当事者であることを公表し、周囲の理解を得ながら活動的に生きている方もいます。
僕が以前使用していたコミュニティサイトで知り合った方は結構オー プンで、周囲にも会社にも自分が「性同一性障害」だと公表して生きている様です。
ちなみにその知り合いは、戸籍の取り扱いの変更まで終わらせています。
カミングアウトしてありのままの自分を受け入れてもらうことで、精神的な負担が減ったりいざという時に周囲のフォローを受けやすかったりする面があると思います。
一方で僕のように「普通に生活していたいだけ」という人間にとっては、あえて公表する必要性を感じないのではないでしょうか。
むしろ、公表することで「特別な目」で見られたりこれまでの穏やかな生活が脅かされたりすることの方が、僕にとってはリスクに感じてしまうのです。
今の世の中、性同一性障害への理解は少しずつ広がっていますが100%受け入れられるわけではありません。
知ってもらえたとしても、それが必ずしも幸せに直結するとは限らないのが現実です。
20年経った今の僕が思うこと
埋没して生活している人の思いは「別に問題なく生きてるんだから騒ぎ立てないでくれ」って人も居ますよね。
ちょっとうろ覚えなのですが何かで拝見した気が…
性同一性障害と言う存在を世の中に発信することで「自分がそうだとばれるのではないだろうか」と心配する人もいるようで、自分たちの普通の生活が脅かされる可能性があるのが怖いという点ですよね。
オー プンすることが悪いとは当然思ってないです 。
結局のところ、オープンにするか埋没するかはどちらが正しいという話ではなく「その人がどう生きたいか」の選択でしかないのだと思います。
ただ、すべてをさらけ出すのが本当に正しいのかっては思います 。
過去にオー プンの仕方で問題があったとともあるようですし。
昔に比べると性同一性障害に対する認知度は広がって入るけれど、それでも100%ではないです。
知ってもらえたとしても、それが受け入れられるとも限らない。
でも、人に100%受け入れられることなんてそうそうないかもしれない。
ただ、普通に生活していたいだけなんだけど、なんか色々難しいですね。